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  3. NO.12 俳優 大方斐紗子 氏

「俳優は人間を描く職業」
俳優 大方斐紗子が語る。

大方斐紗子 氏
俳優
大方斐紗子 氏
Q.今までの経歴を教えてください
大方斐紗子 氏私は福島で生まれ育ちました。芝居や映画の大好きな少女で、高校時代は演劇部でした。その後上京し、劇団俳優座の付属養成所の試験を受けました。当時、ここの養成所は大人気で、かなりの難関でした。私は話言葉のアクセントが全く違っていましたから、まずはアクセント辞典を丸暗記して、臨みました。そして何とか合格し、三年間学ぶことになります。小さい頃から見ていた映画で「演技が優れているなァ」と思う俳優さんは皆舞台出身の方だったので、舞台俳優を目指しました。新劇の世界はとてもエキサイティングでした。一流の先生方から芝居の心を学び、一年目から舞台に立たせてもらうことも出来ました。卒業後は青年座に入団し、沢山板を踏みました。その後フリーになり、いろいろな所に客演することになります。新劇の大御所であった故、千田是也先生は、よく私を御自身の演出作品に出演させて下さいましたが、ある時、私を重要な役につけて下さったのです。「ここは、こうするように。」と指導されたのに、私は「ここはこういう場面なのだから、そうはやりたくない」などと、とんでもない意見をぶつけたことがありました。自己主張の強い嫌な奴でした。千田先生は「お前なんか養成所に逆戻りだ!」と、とてもお怒りになり、大先輩たちは「大方さんったら、千田先生に何てことを!」と皆々、口をあんぐりでした。その後何年も経ち、千田先生が御病気と知り、私は即お見舞いに行き、そこでいっぱい、いっぱい演劇の話をしました。先生がお亡くなりになった時、御親戚の方が「大方斐紗子は大好きな俳優だと言っていたよ」と伝えてくれました。年をとった今、かつての自分の傲慢さがよくわかります。若い頃は、偉い人に反発することイコール生きていることととらえる傾向が私にはありました。PAGE TOP
Q.その後どのような道を歩まれたのですか?

大方斐紗子 氏フリーという位置が結果的にはとても良かった。よばれればどこでも行きますので、自然にジャンル毎の垣根が無くなったわけです。私が比較的どの舞台にも水のように入っていけるのは、沢山の外国人演出家から指導を受けたからだと思います。彼らは、日本では考えられないくらい厳しいんですよ。たとえば、ロバート・アラン・アッカーマンに若い頃と50代の頃と二度付いたのですが、相当厳しく仕込まれ、メッタ斬りされました。(実は最近、そのアッカーマンさんが手がけたハリウッド映画に西田敏行さんのお母さん役で出演させていただきました。)その後ついたフランス人、イタリア人の演出家も本当に厳しい方ばかりでしたね。一歩足を前に出すだけの演技、または2、3行の台詞で何時間も指導を受けるのです。自分には才能が無いのかもしれないと思う地獄の時が沢山ありました。にもかかわらず、この道を選んでよかったと思えるのですから、芸道の魅力というものは計り知れません。
その昔、私が父に「俳優の勉強をしたい」と言ったとき、反対されるかと思ったのですが、父はこう言いました。「人は本当にやりたいことをやるためにはどんな努力でもするものだ。私が生きているうちは応援する」と。父はやりたいことを諦めた人でした。だから娘にはやりたいことをやらせたいと思ったのでしょう。でもすぐ亡くなってしまいましたが。今でもこの言葉を思い出します。本当にその通りだと思います。

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Q.俳優の仕事とはどんな仕事ですか?
この仕事のいいところは、苦労も倖せもすべて宝物になることなんです。日常どこへ行っても楽しいし興味を持ちます。全てが役者に活きますからね。なぜなら、役者は「人間を描く職業」。だから人間として、しっかりと生きてなきゃ、描けるわけがない。私も沢山苦労してきましたが、まだまだだなと思います。まだ何も出来てないから役者を辞められない。心から満足出来ると思える仕事が出来たら、そしたら辞めるかもしれませんね。PAGE TOP
Q.俳優のやりがいは何ですか?
まずはその作品が素直に観客の内奥に届かなければならないので、その作品に肉薄する為のあらゆる努力が必要なわけで、作品への奉仕だと私は思っておりますが、その作品を観た人が、これから自分の生き方を変えると言って下さった時、或いは、ことばが無くても眼の光が変わったり、あきらかに素敵な変化が見られた時。もう一つは、最近嬉しかったことですが、ミュージカル「ハロルドとモード」の出演依頼があったことです。実はその演出家が、作家のトム・ジョーンズ氏に日本での上演許可を貰いにいったら、「大方斐紗子でやるならOKする」と言われたのだそうです。初の主演です。80歳になる老女の役で、少年との恋物語です。年をとる迄、続けてきたお陰ですね。PAGE TOP
Q.では逆に辛かった経験などはありますか?
大方斐紗子 氏それはやはり貧乏でしたからね。舞台だけで食べていくのは本当に大変なことです。子どもが小さい頃は子育てしながら本業の他に沢山アルバイトをして・・・。
そうそう、これはとても悲しくて面白い話なのですが、息子が小学校二年生の時の授業参観。国語の授業でテーマは「生きがい」でした。帰り道「生きがいってなんだろうねぇ?」と話したら息子がこう言ったんです。「ママがお仕事の無い時、ムスッとしてるでしょう。その逆じゃない?」この子はわかってると、その瞬間安易に理解した私は、ちょっといい気になりました。ある年の暮れ、いつもなら年末年始は家にいるようにするのですが、その年は年末ギリギリまで舞台の仕事が入っていたのです。働かなくてはなりませんしね。仕事を終えて帰宅すると、なんと衾がボコボコに穴開いてたんです。私は息子をつかまえて「何やってるの~!!」と怒鳴ったんです。そしたら息子は泣きじゃくりながらこう言いました。「なんで偉人になりたいんだよ。なんで平凡な女じゃイヤなんだよ。これじゃ、福引きもできやしない。」
年末になると商店街で買い物をしたときに福引の引き換え券をもらえました。友達の家はそれを集めてお母さんと一緒に福引に行っていたんですね。そんな当たり前のことがうちは出来ないって泣いたわけです。それから私は反省し、一切仕事を断りました。どんな貧乏でもいいやと思いました。そんなある日、私が電話で仕事を断っていたら、息子が隣に来て私をつつきながらこう言ったんです。「たまにはやりなよ。」そんな息子も今は同じ道を歩んでいます。PAGE TOP
Q.どんな生き方が素敵だと思いますか?
「自分の中にたくさんの人を住まわせてあげる」ことでしょうか。自分と違う人を軽蔑せずに「本当に人は素敵だ」と心から思いたい。私たちはいつも自分からしか物事を、他者を見ていないけれども、他の視点から見ることが出来たらきっと素敵です。役者でもそうです。「私は○○だ!」と主張するのではなく、自分をどれだけ捨てられるかが重要です。PAGE TOP
Q.若者へひと事お願いします
「物事の表面にはその一部しか出てない」なんでもそう、その下にはもっともっとたくさんのことがあります。だからどんなときも思考して行動すべきです。それに気付くには苦労はあったほうがいいです。その苦労をどう乗り越えるかで決まります。苦労した人の話は胸を打ちます。人を見る目も深くなります。PAGE TOP